ノーベル化学賞を受ける吉野彰・旭化成名誉フェロー(71)が開発に貢献したリチウムイオン電池。広く使われるようになった背景には、業種の垣根を越えて技術者らが集い、普及に向けて本音で意見をぶつけあう場があった。名前は「IBA(アイビーエー)セミナー」。当時のメンバーは「同志」の晴れ舞台を心待ちにしている。授賞式は10日(日本時間11日未明)、ストックホルムのコンサートホールである。
吉野さんらが基本技術の特許を出願したリチウムイオン電池は、1991年にソニーが世界に先駆けて商品化した。小型で高性能とあって注目を集めたが、当初は販売が伸び悩んだ。安全性やコストを見極めようと、電池を使う側の企業が大規模な導入に慎重だったためだ。
そこで、電池をつくるメーカーと、使うユーザー側の企業の技術者らが一堂に会し、情報交換するセミナーが企画された。発起人の赤松武志さん(79)は当時、富士通でノートパソコンや携帯電話の電池を調べていた。「開発の実情や課題など、学会では聞けない話も聞ける場にしたかった」。IBAは「国際電池協会(International Battery Association)」の英語の頭文字を並べたもの。日本発の新型電池の世界展開を意識した命名だった。
有志による「手弁当」の会だったが、ソニー、日本IBM、トヨタ自動車など有力企業から100人規模で集まった。吉野さんも企画作りや講師役を引き受けた。「学者然としていなくてオープンな人。技術的にもしっかりしていた。ノーベル賞に選ばれて本当によかった」。97年まで年1回ほどのペースで開かれた。
事務局を担当した田川和男さん(73)は、吉野さんを間近で祝おうと、授賞式を前に独自にストックホルムに入った。式には出ないが、吉野さんの親族らと一緒にライブ映像を見る予定という。
セミナーを手がけたのは、今も経営するリチウムイオン電池の専門商社を立ち上げたころだった。「吉野さんは人のつながりを大事にする、みんなにかわいがられる人だった」と言う。
吉野さんも、セミナーについて「みんなが一番知りたいところをお互い議論できた。機密上ギリギリの情報交換ができた点では、非常に大きかった」と話す。(ストックホルム=今直也)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル